ちょき☆ぱたん お気に入り紹介 (chokipatan.com)

第1部 本

脳&心理&人工知能

なりすまし(キャハラン)

『なりすまし 正気と狂気を揺るがす、精神病院潜入実験』2021/4/21
スザンナ・キャハラン、 宮﨑 真紀


(感想)
 脳炎を精神病と誤診された過去を持つジャーナリストは、かつて全米医学会を大きく揺るがした心理学実験――精神病患者になりすまして病棟に潜入する「ローゼンハン実験」に興味を抱いて調査・取材をしていくうちに、実験に隠された奇妙な点に気がつきます。やがて次第に明らかになっていく衝撃の真実とは……精神医学の光と闇を鋭く抉るドキュメンタリーです。
「訳者あとがき」には、本書の内容が次のように要約されていました。
「かつて自己免疫性脳炎という神経疾患を患い、正気と狂気のあいだを行き来するうちに〝精神疾患〟と誤診されそうになった経験を持つ著者は、スタンフォード大学心理学教授リチャード・ローゼンハンが一九七三年に発表した論文「狂気の場所で正気でいること」に興味を持つ。これは、「健常な」人々に患者のふりをさせて精神病院に送り込むという実験を通じ、正気と狂気の境界が、そして精神疾患の診断がいかに曖昧なものかを、科学的データをもとに暴くものだった。ローゼンハンのこの論文がきっかけで、精神医学の正当性に疑問が投げかけられ、たとえば精神医療に関するさまざまな法改正、全国的な精神病院の大量閉鎖、『精神疾患の診断・統計マニュアル(DSM)』の改訂といった、精神医学界の大改革につながったことは事実で、著者はローゼンハンに対する敬意を新たにするのだが、内容を精査し、関係者に取材するうちに、少しずつ論文のほころびが見え始める。ローゼンハンが偽患者として入院したときのカルテを手に入れ、さらに偽患者だった人物を探し出し、ついに二人特定した(ただし一人は、ローゼンハンの定めたデータ収集方法に従わなかったことを理由に研究対象からはずされた)ところで、かの論文に大きな不正行為があったことが明らかになる。だが、話にはまだ先があったのだ……。」
(※ここから先は、本書(ドキュメンタリー)の核心にふれるネタバレを含みますので、知りたくない方は読み飛ばしてください)
 精神医学界に強い影響を与えてきたローゼンハンさんの実験でしたが、キャハランさんが実態を調査すればするほど、その正当性には疑いが出てくるのです。ローゼンハンさんが自ら偽患者を演じて精神病院に入院したことは確かなようですが、他の患者たちは果たして全員存在したのかに疑問があるだけでなく、研究対象からはずされた一人は、「精神病院には良い治療効果がある」ことを実証していて、ローゼンハンさんが主張したかった「精神病院は異常者になりすました正常者を見抜けないほどでたらめな治療をしている」に反していたから「意図的に」対象者から外されたのではないか、という疑いすら出てきました。
 ……えー、そうだったの? それはダメでしょ!
 この本のタイトル『なりすまし』には、三つの意味があるそうです。一つ目はローゼンハン実験での「偽患者」へのなりすまし、二つ目は「なしすましをする疾病(キャハランさん自身が罹患した自己免疫性脳炎のように、統合失調症に間違われやすいという意味でのなりすまし)」。そして最後が、なりすましをする(実験を捏造した疑いがある)ローゼンハンさん。……この事実が次第に明らかになっていく過程は、ドキュメンタリーでありながら推理小説を読んでいるみたいな感覚がありました。
 正直に言ってこの本は、精神患者に「なりすます」正常者を、本物の精神患者にしてしまう精神医学の闇を暴いているものなのだろうとだけ思いながら読んでいたのですが……読み進むにつれて、この有名な実験を行ったローゼンハンさん自身の、科学者として許されない態度が次第に暴かれていくことに、すごく驚かされました。これに比べたら「ローゼンハン実験」で暴かれた側、正常者を精神患者扱いして入院させた精神病院の方が、まだマシに思えるぐらいです。なぜなら、偽患者たちは10日程度の入院の後、ちゃんと退院できていたのですから。
 ……だから……ローゼンハンさんの実験をどう評価すべきなのか、読み終わって、ちょっと途方にくれてしまいました。科学的に正しい実験ではなかったようですが、結果としては、患者を非人道的に扱っていた精神病院を閉鎖に追い込む、「精神疾患の診断・統計マニュアル(DSM)」の改定を促すなど、精神医学界に非常に良い影響を与えてきたことは確かなんですよね……。キャハランさんは「エピローグ」で次のように書いています。
「彼の論文には誇張があり、データの不正さえあるが、真実の周囲を躍りまわるうちに真実に触れた。医学界における精神医学の状況を白日のもとにさらす役割を果たしたのだ。身体医学と比べて正当性が低いと見なされていること。精神病患者は「他者」と認識され、個性を奪われていること、診断に使う術語が限定的なこと。つまりメッセージは有用だったが、残念ながらメッセンジャーのほうに問題があったのだ。」
 そして「第27章」では、次のようにも書いています。
「精神医学の傲慢さや限界、失敗を充分意識したうえで、それでも精神医学が、そして医学全般が、いつの日かわたしの信頼に応えてくれると信じている。
 信じている、ただひたすらに。」
 ……精神医学は、身体医学の感染症やガンとは違って、はっきりした治療方針のある具体的な身体的原因を見つけにくいので、現在もまだ発展途上の状態にありますが、fMRIなどの脳機能を調べる装置や人工知能(AI)などの技術が発展していくにつれて、具体的な原因を見つけられるようになり、より的確な治療を施せるようになるかもしれません。今後、精神医学がより良い方向へ進んでいくことを期待したいと思います。
 精神医学の光と闇を暴いていくドキュメンタリーで、とても読み応えがありました。精神医学の歴史も学べます。興味のある方は、ぜひ読んでみてください。
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 なお社会や科学、IT関連の本は変化のスピードが速いので、購入する場合は、対象の本が最新版であることを確認してください。

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