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第1部 本

社会

事実の読み方(柳田邦男)

『事実の読み方』1987/11
柳田 邦男 (著)


(感想)
 通念や先入観による判断の誤りは、日常生活のみならず報動な道や政治・外交などの場でも起こりえます。情報が溢れる現代において、いかにデータを読み解くか……経済摩擦、技術開発、災害・事故、医療などの諸問題について、予断を排し「事実」の積み重ねのみによって考察しているエッセイ集です。
 文庫本が発売されたのが1987年というすごく古い本で、書かれているネタも当時のもの(経済摩擦など)ですが、内容や考え方は、2020年の今でもとても参考になると思います。
 この本に出合うまで、「ニュースは事実を正確に伝えてくれるもの」と単純に信じ切っていた(能天気だった)私にとって、「ニュースが常に正しいことを報道しているわけではない」ことを教えてくれて、「事実とは何か」を深く考えるきっかけを与えてくれた本なので、ここで紹介させていただきます。
 例えば、冒頭のエッセイ「聞いてみないとわからない」の中では、1973年秋から74年春にかけての石油危機の時に、国会とマスコミに通産省石油担当課長のB氏がひどい目にあわされたという話がありました。
「(前略)この予算委員会は、テレビでも中継されていたので、私はよく覚えている。非常にセンセイショナルな追求だった。しかし、B氏の話をじっくりと聞き、さまざまな事実関係を検証すると、どうもB氏の話の方に真実がありそうだと、私は思った。
 B氏から話を聞いているうちに、この事件の報道には、重要な欠落部分があることがわかった。それは、当時の取材記者が、B氏からは話を聞かないで、国会審議のやりとりだけで記事を書いていた、ということである。B氏の話をきけば、記事はずいぶん違ったものになったはずである。
 もっとも、判官びいきの曇った眼しかもたない記者だと、たとえB氏の話を聞いても、それをどう解釈したかどうかはわからないが……。」
 また「日本人と先入観」というタイトルのエッセイには、次の文章がありました。
「杉本氏とマオア氏の『日本人は「日本的」か』は、この問題に、比較社会学という角度からメスを入れている。その中で、とくに注目すべきことは、従来の日本人論が国際比較の方法論において次のような誤りをおかしていると、鋭く突いている点である。
1)断片的なエピソードで全体像を云々する。
2)日本語に独特のコトバ(特に諺)を引き合いに出して、日本人はこうだと決めつけてしまう。(例えば「旅は道連れ世は情け」を強調した場合、「旅の恥はかき棄て」はどうなるのか)。
3)異質なサンプルを比較している(日本の大企業エリート層と西欧の全労働者とを比べても意味がない)。
4)「日本人のことは日本人にしか分からない」という排他的実感主義。
5)「西洋」とか「欧米」をひとまとめにして同質視し、日本と対比しようとする「西洋一元論」的な把握の仕方。
 そして、適切なサンプルとデータによる厳密な比較検討をすると、日本人の「甘え」の構造や「タテ社会」論も、疑問になってくるというのである。杉本・マオア両氏は、安易な日本人特殊論を超えて、社会階層の多元的な実態を見極めようと提案する。」
 ……ここで指摘されているような問題(誤り)は、どんなジャンルでも発生しそうな問題に感じました。
 この他にも、「事件の渦中にいた人物でも、事件のすべてを知っているわけではない」とか、「ニュースには国籍がある」とか、深く考えさせられる話がたくさんあり、ニュースなどの報道には、スクープを焦るあまり「裏取りに欠ける推測記事」があるだけでなく、どんなに真摯な報道記者であっても、「どの立場から物事を見ているか」で変わってしまうことがあることにも気づかされ、『事実』を知ることは簡単ではないことを痛感させられました。読み進めるうちに、目から鱗がぼろぼろ落ちていくのを感じるとともに、……大人になるって、こういうことなのかなーとしみじみ思い、なんかうら寂しい気分になったことを覚えています……。
 古いエッセイ集ですが、私の精神的成長にとって、とても重要な役割を果たしてくれた本でした。ぜひ読んでみてください。お勧めです☆

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