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第1部 本

歴史

古代の星空を読み解く: キトラ古墳天文図とアジアの星図(中村士)

『古代の星空を読み解く: キトラ古墳天文図とアジアの星図』2018/12/24
中村 士 (著)


(感想)
 奈良のキトラ古墳の天井星図や、江戸時代の暦制作などについて、独自に考案した年代推定法を用いて、歴史的な星図・星表の謎に迫っていく本です。
 奈良のキトラ古墳の天井には、精緻な星図が描かれているのだとか。この本にイラストが掲載されていましたが、その見事さに本当に驚かされました。なんと『キトラ古墳壁画』図録によれば、キトラ星図で確認できた星座数は68個。星の総数は約300個だったそうです。
 しかも、このキトラ古墳星図は、最古の科学的星図なのだとか。
「(前略)キトラ星図は、おそらく古代中国のデータに基づいた、世界最古の科学的星図ということができる。一方、キトラ古墳と同年代に制作された中国と朝鮮の古墳壁画の天文図には、本書で実施したような統計解析に耐える星図はまったく見つかっていない。」
 とはいえ、その原図はおそらく日本のものではなく、中国か朝鮮のものだろうと著者の中村さんは言います。
「キトラ星図に描かれた二十八宿の観測年代はほぼ紀元前80±40年(信頼度90%)であると推定した。(中略)当時、日本人は倭人と呼ばれ、九州北部から西日本にわたって100以上の小国が分立していた。日本の社会全体を統治できる支配者はまだいなかった。そのような状況下では、中国のような暦や国家占星術が必要だったとはとても思えない。まして、日本人が天文儀器を使って二十八宿の位置観測を行い、星図をつくったなどとはとうてい考えられない。したがって、キトラ星図の原図はずっと後世に中国か朝鮮からもたらされたことは疑いない。」
「キトラ星図に描かれた二十八宿の位置データは、(古代中国の)「石氏星経」のデータと同じ原点からとられた可能性がきわめて高いということである。」
 中村さんは天文学の立場から見て、キトラ天文図の円形星座図がどのくらい正確か、各星座中の星々の位置から、それらが観測された年代を客観的に推定できるか、を確かめようと考えたそうです。天球上の星々の位置は、「歳差」と呼ばれる現象のために、年々ごくわずかずつ変化していくので、現代天文学の歳差理論とキトラの星々の測定位置とを比較すれば、それらの観測年代を知ることができるはず……と思ったそうなのですが、キトラ天文図から測定できる位置の情報は、天文学で普通に扱う天球上の緯度・経度とはずいぶん違っていて、直接には比べられないことが分かり、かなり苦労されたのだとか。
 それでも試行錯誤を繰り返したすえに、従来とはまったく異なる統計学的な年代推定法を考案することができ、ようやく、キトラ天文図の妥当な観測年代も求められたそうです。
 本書の中では、その年代推定法を使って、キトラ古墳の天井星図だけでなく、トレミー(プトレマイオス)疑惑、江戸時代の渋川春海の天文図の疑惑などを検討しています。
 ちょっとショックだったのが、1685年に施行された「貞亨歴」の完成者の渋川春海さんが、観測データを偽装した疑いが濃厚だと明らかにされたこと。
「春海が何らかの理由で、郭守敬による各距星の宿度値に0.1度前後の数値を適当に加減し、自分の観測のように見せかけた可能性が高い。」
 ……そうだったんですか……。なんだかガッカリしてしまいましたが、よく考えてみると、暦のための天文観測というのは途方もなく時間と労力を必要とするものだし、春海さん自身の計測機器の能力は低かったようで、高い精度がだせなかったようなのです。その一方で手元には、中国の郭守敬のデータがある……ならば、そのデータの一部を検証して使えるかどうかを確かめた上で、使えそうなら自分のデータを補完するものとして使えばいい、と考えてしまったのではないでしょうか。そもそも自分の目的も「天文観測」ではなく、「暦を作りなおす」だったのですから、むしろ、それが最も合理的な態度だったのかもしれません。
 とても面白い「科学的歴史書」で、すごく読み応えがありました。本書のような歴史への科学的アプローチが、今後もどんどん進んでいって、歴史の「本当の姿」に近づいていけるといいなと思います。というのも、古い書物は、為政者や編纂者の立場などから意図的に内容が改ざんされていることも多いと思いますので、そのまま「真実」と受け取るのは危険だと思うからです。
 それにしてもキトラ古墳の星図……本当に古代のものとは思えないほど、素晴らしく精緻ですね……でも何故、ここにあるんだろう? 古墳というのはお墓なのだから、これを実際に見る人はいないはずでは? エジプトみたいに「復活」を信じていたのかな? それとも埋葬された人がすごく星空が好きな人で、その人への贈り物だったのかな? いろんな妄想が心をよぎります。……この星図の精緻さや、東西南北や十二支まで描かれていることなどを考えると、もしかしたら当時の「最高レベルの科学的知識」の保管のために描いたのかも。なぜなら当時は全国に争いが起こっていて、手元の大事な「紙の原図」の保管が心配だっただろうし、「古墳の壁」は、紙よりも情報の保管に適していたのかもしれません。キトラ古墳は、古墳図書館だったのかもしれませんね。
 いろんなことを考えさせられる本でした。歴史や天文、暦に興味がある方はぜひ読んでみてください☆
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 なお社会や科学、IT関連の本は変化のスピードが速いので、購入する場合は、対象の本が最新版であることを確認してください。

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