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第1部 本

防犯防災&アウトドア

防災

東日本大震災 震災市長の手記(立谷秀清)

『東日本大震災 震災市長の手記―平成23年3月11日14時46分発生』2017/8/1
立谷 秀清 (著)


(感想)
 2011年3月11日の東日本大震災。未曽有の災害に、相馬市役所で陣頭指揮にあたった立谷相馬市長の手記です。
市長は、被災当日の夜に行動指針をまとめて対策本部全員の意思を統一した後、節目節目で、基本的考え方を市民や市の職員と共有するためと、外部からの支援者の方々に対するお願いや報告のために「相馬市長メールマガジン市長エッセイ」を綴ってきたそうですが、この本は、そのエッセイを中心に記録写真を配し、手記としてまとめられたものだそうです。内容は、震災の日から現在(2017)まで、時系列で並べられているので、震災直後の混乱に必死で対応する状況や、復興に向けての取り組みなどを、すごく具体的に知ることが出来ます。
第1章 超急性期 震災発生24時間
第2章 急性期 震災発生2週間
第3章 避難所(平成23年3月26日~6月27日の記録)
第4章 仮設住宅(平成23年6月18日~平成27年3月26日)
第5章 復興期(平成27年3月27日~)
第6章 放射能との闘い
   *
 東日本大震災を相馬市庁舎のエレベーターホールで迎えた相馬市長の立谷さんは、すぐに災害対策本部を立ち上げ、海岸部に高台への避難を呼びかけました。やがて次々に被害状況が入ってきます。電柱が倒れて道をふさいでいる、崩落した壁が道路に散乱して車両が通行できない……救急車が通行できないとしたら、タンカで運ぶしかないが、どうするか? ……その間にも意識不明の重体者の連絡が入り、そして、テレビでは三陸地方への津波襲来を告げています。……津波でワゴン車が流された、津波の中の住宅で孤立している……。避難所には続々人々が詰めかけ、毛布や食品を配布……市役所のホワイトボードは状況のメモで、どんどん埋め尽くされていきます。従来の想定ではとても足りない……緊迫した状況が、写真と文章からすごく伝わってきます。
 対策本部全体が災害に押しつぶされないために、行動目標を立てなければ……立谷さんは、自らを鼓舞するためにも、『直後の対応』と『地域・被災地の再建に向けた対応』に分けて、対策目標を立てることにしたそうです。そして副市長たちはそれをエクセルシートにするとともに、具体的な作業事項、さらに担当部署の割り付けまで行ってくれたとか。すぐに目標を立てる市長も凄いですが、周囲の方々のサポートも凄いと感動しました。このような激甚災害の時には、普通の人は、どうしたらいいのかも考えられずに呆然としてしまいがちですが、「具体的な作業目標」「担当者」を決めてもらえると、呆然とする暇もなく必死で働けるので、むしろそれが精神的な支えになるのではないでしょうか。
 この本を読むと、相馬市では市の職員が自ら提案して「さいがいFM(尋ね人などの呼びかけや、放射能データを市民に伝える)」を開局するなど、全員が一丸となって復興に向けて頑張ってきたことがよく分かります。さらに友好自治体からの支援物資も、災害翌日午前中から続々届けられたとか。日本人の優しさや底力を再確認させられて、とても嬉しくなりました。
 ところで相馬市は福島第一原子力発電所から45キロも離れているので、最初のうちは、原発のことまでは考慮していなかったそうです。ところが、より原発に近い南相馬市の方々が相馬市の避難所に押し寄せてきたので、相馬市の行動指針に織り込まざるをえなくなりました。そこで南相馬市民のための避難所も新たに確保し、食料などを提供することにしたそうです。
 ところが震災発生から二日後、相馬市自身にも大問題が突きつけられました。3月14日の夜、迷彩服の上に防護マントを着てガスマスクをつけた百数十人もの自衛隊員の方々が、市役所の中にバラバラと入ってきたそうです。「今すぐ、相馬市民を避難させてください。我々はそのエスコートをします。」
 でも夜の9時に避難指示を出せば、相当な混乱と不測の事態が予想されます。立谷さんは、(目的地も決めずに避難指示は出せない。だいたいにおいて空間線量が上がっている訳でもない)と考えて「今、避難指示は出せない」と決断を下したそうです。
 ……結局、翌日、自衛隊から「すぐに逃げろ」は誤報だったと聞かされたそうですが、私だったら、この時、どう決断しただろうかと、すごく考えさせられました。たぶん朝一番で市民に避難指示を出せるように、災害対策本部を集めて「どこに・どのように」の検討を始めたのではないかと思いますし、そうしていたら現場はさらに混乱していたのかも……。災害時に「決断を下す人」のストレスは、本当に大変なものだと頭が下がりました。
 この本は、東日本大震災&福島原発事故を乗り越えてきた福島県相馬市の記録が、時系列で具体的に記述されているので、災害時にはどんな状況になるか、相馬市はどう対応してきたかについて、実践的に参考になる情報が満載です。仮設住宅の運営の仕方とか、移転先の土地を探す住民自身の努力とか、被ばく線量の多かった子供たちへの生活指導とか、細かいことまで記載されています。こんなにきめ細やかな配慮をしていたんですね……。
 相馬市では、東日本大震災の津波からの避難誘導で、10名の消防団員の方が殉職されたそうです。勇敢で愛にあふれた方々のご冥福を心からお祈りします……。
 日本は地震や台風など、大きな災害に見舞われる国ですが、その度にさらに強くなって立ち上がってきたことを誇りに思います。今後、再び災害に見舞われた時に、より良い行動をとれるように私自身も備えていきたいと思います。みなさんも、ぜひ読んでみてください。
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 別の作家の本ですが、『被災地の本当の話をしよう ~陸前高田市長が綴るあの日とこれから~』など、被災体験について市長が綴った本は多数あります。

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