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第1部 本

防犯防災&アウトドア

防災

エンデュアランス号漂流記(シャクルトン)

『エンデュアランス号漂流記』2003/6
アーネスト シャクルトン (著), 木村 義昌 (翻訳), 谷口 善也 (翻訳)


(感想)
 史上初の南極大陸横断を計画した英国のシャクルトン隊長自身による探検記です。
 彼らの船は氷に砕かれ遭難しましたが、シャクルトンさんは、氷海に投げ出されて孤立無援となった探検隊を率いて、全員を奇跡の生還へと導きました。
 この本は、シャクルトンさんのリーダーシップと隊員の団結心、深い友情と信義、大自然との死闘、そして彼らの不撓不屈の精神を、隊長自らの視点で描き出しています。
 南極海での越冬を覚悟したこと、崩れ行く氷の遭難キャンプから、氷山が行く手を阻む氷の海にボートで漕ぎ出したこと……その決断に至る経緯や葛藤を垣間見ることができます(ただ、シャクルトンさんはあまり弱音を吐かない方のようで、重大な決断への葛藤はあまりなく、意外にあっさり書いてありますが……)。
 ところで最終的には、凍りつく無人島からシャクルトンさんら6名が、ボートで救援を求めにいく決死の旅をすることになるのですが、この決断をもう少し早く出来なかったのかなと思わなくもありませんでした(汗)。でも実は、難破地点から346マイルほど離れたポーレ島に、シャクルトンさん自身が準備していた救援物資と避難小屋があることを、もちろん彼は知っていたので、その時点で無理に決死の旅に出るよりは、準備していた物資を利用して越冬し、チャンスを待とうと考えたのでしょう。シャクルトンさんには探検家としての情熱の他に、すごく慎重な一面があったようで、これが結果的に、全員の生還につながったのだと思います。
 そして、彼の右腕として活躍した副隊長のワイルドさんの存在も大きかったと思います。彼はシャクルトンさんの1907~09年の南極探検に同行した経験もあり、落ち着いた性格の、がっちりした体格の人でした。そしてシャクルトンさんがボートで救助を求める旅に出かけた後、実に四か月半もの間、凍てつく島に残った人々を生き延びさせていたのです。もちろん一人一人が全力を尽くした結果ですが、ワイルドさんは、仲間を指揮して、予定以上に滞在が長引くことに備えて、住環境を整えることや食料の備蓄に励む一方、仲間の団結を促し、希望を与え続けていました。最後の避難所となった凍てついたエレファント島にたどり着いた後に、この島で適当なキャンプ地を探したのも彼だったのです。シャクルトンさんも重大な決断をする時には、いつもワイルドさんと相談して決めていました。彼の存在も、全員が生還できた一因ではないかと思います。
 そしてもちろん、シャクルトンさんの鋼鉄の意志がなければ、とても全員の生還は望めなかったでしょう。シャクルトンさんら6名は、凍った海にボートを出して、命からがら南ジョージア島にたどり着いたものの、人間のいる捕鯨基地までは、さらに山越えをする必要があったのです(涙)。ここまで来て、斃れてたまるか!という決意なしには、とてもあの状態と装備で、険しい山越えなど出来なかったと思います。
 そして結局は、実際に仲間を救助するまで四か月以上もかかってしまいましたが、その間、シャクルトンさんが救援船で向かうこと、実に四回! 三回も退却を余儀なくされても、決して諦めることなく、四度目の船を調達し、ついに残留隊員の冬営地にたどり着くことが出来たのです。
 まさに不撓不屈の精神力と行動力。そんな彼だからこそ、仲間も信頼して待っていてくれたのだと思います。
 シャクルトンさんはこの南極探検の後、第一次大戦には陸軍少佐として参加。戦後、クエスト号による南極遠征を行いましたが、1922年1月5日、奇しくもこの南ジョージア島で心臓病により急逝しました。
 彼の残した『エンデュアランス号漂流記』――いつまでも読み継がれて欲しい感動の記録です。
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 冒険小説家のランシングさんが書いた『エンデュアランス号漂流』に関する記事もごらんください。
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 別の作家の本ですが、『エンデュアランス号大漂流』もこの冒険を描いたものです。
 また、『世界最悪の旅―スコット南極探検隊』は、二十世紀初頭の南極点到達競争で、初到達の夢かなわず、極寒の大地でほぼ全員が死亡した英国のスコット隊の悲劇的な探検行の真実を、数少ない生存者の元隊員が綴った凄絶な記録です。

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